アクセス
交通手段
JR大阪駅から京都線膳所(ぜぜ)駅下車、京阪電車に乗り換えて京阪三井寺駅下車
交通費
JR大阪駅より膳所(ぜぜ)駅まで990円+京阪170円です。
最寄り駅からお寺の門まで
京阪三井寺から徒歩10分くらいで、札所に近い門に着きます。三井寺には3つ門がありまして、駐車場に近い仁王門、総門、札所近くの門があります。三井寺のパンフレットの案内では仁王門からの順路で札所が後半になっていますが、札所に先に行って他をゆっくり巡るのもいいと思います。
門から本堂まで
札所近くの門からだとまずは一気に山を登ります。階段が続きますので、ここは覚悟して登りましょう。苦しいのはここだけです。境内は少しの登りと下りになりますので、楽に回れます。
仁王門から入るほうが勾配が緩やかで、いろいろ巡りながら少しづつ登っていきますので、お好みでお選びください。
【交通機関】
【交通費】
【最寄り駅から寺の門まで】
【門から本堂まで】
★の数が多いほど「難易度が高い」ことになります。
お寺について
第十四番札所 長等山 園城寺(三井寺)
ながらさん おんじょうじ(みいでら)
創建
朱鳥元年(686)
観音様
如意輪観世音菩薩 ※秘仏 33年に一度の開帳
伽藍
札所の観音堂は元禄2年(1689年)に再建。他数々の建物、門は1600年代に再建されたものであり、ほとんどが国宝、重要文化財、県指定文化財に指定されています。
見どころ
札所の観音堂から見下ろす街並みと琵琶湖の風景。
北政所が再建した金堂。境内の空気感。
駅から寺までの間にあるビューポイント
三井寺は京阪三井寺駅から徒歩10分で到着する、行きやすいお寺です。
他にもJR大津駅、大津京駅からバスで行くことも出来ますけど、京阪三井寺駅からの徒歩途中に琵琶湖疎水(びわこそすい)を見ることが出来ます。

琵琶湖疎水とは人口の水路で明治18年(1885年)着工、23年(1890年)に開通しました。大津から琵琶湖の水を三井寺の下を通り、京都の蹴上まで運んでいます。当時はこの水路のおかげで水力発電が出来、京都で工場が生まれ、路面電車が走りました。更に20年後に第二疎水路が出来て水道が通り、市営電車が開業されたことで、今の京都の街づくりの基礎になったとのこと。
ここで思い出したのが、テレビの「ケンミンショー」でよく滋賀県民が京都市民に対して、『琵琶湖の水止めたるぞ』というセリフ。あながち間違いではないですね。現在も京都に琵琶湖の水を運んでいる琵琶湖疎水。130年たっても現役です。
写真は3月の上旬で桜のつぼみが見れましたが、桜の開花時期には疎水近くに桜が咲き、綺麗なことでしょう。
門の受付でのひととき
琵琶湖疎水沿いを歩くと左に曲がるような看板があります。

誘導されるように歩いて行くと三井寺の受付が見えてきました。
入山料を支払うと、受付のマダムが
「はじめてのお参りですか」
と尋ねられたことからお話が弾み、以下のようなお話がありました。
この三井寺は、本来なら藤原京を造るために開発されたところなので、建物の配置はまるで都のように出来ているそうです。
また外国人観光客は圧倒的にヨーロッパから来る人が多いとのことです。派手なお寺ではないので、浮かれた観光客は少なそうです。
秘仏の観音様は本来2020年東京オリンピックに開帳予定でしたが、コロナ禍のため中止になりましたと。そこで「次はいつの開帳予定でしょうか」と尋ねたところ、
「わかりませんね。通常は33年に一度しかないですから。」
の返答でした。
さて、マダムとのひとときを終わらせて、いざ入山。
少し階段を登って受付所を見下ろしました。

勾配のキツイ階段が続きます。
息切れ必須です。
でも、辛いのはここだけです。なので一気に登ってしまいましょう。
観音堂にて
観音堂は元々は山道険しくて、女人禁制の山頂近くにあったお堂を、文明9年(1477年)に園城寺のお坊さんの夢に老僧が現れて
「皆が参詣しやすい場所で衆生を助けたい」
とお告げがあったため、4年後に現在の位置に移動したという伝説があります。

現在の観音堂は元禄2年(1689年)に建てられました。観音様は秘仏です。特別拝観でないとお目にかかれません。
観音堂は意外に古さを感じなかったですね。確かに建築物としては古いのですが、空気感が古さを感じさせないというか、なんだか風通しが良い感じがしました。
お参りの後私を惹きつけたのが、龍のストラップです。
私の干支が辰であるのは大いに関係しますが、目が赤くて金色に輝く龍を連れて帰りたくなりました。
そもそも琵琶湖を荒らす龍がいて、その龍の目玉に五寸釘を打ち込み静めたという伝説があります。その龍は天皇の産湯に使う泉を護る閼伽井屋にて、彫刻とされ見守ってくれています。もしかして、この龍がストラップになっているの?、だから眼が赤いのかしら。

さて、観音堂近くの展望台へと行きましょう。

山寺は眺望が美しい。
1600年代の観音堂を越して、湖岸に広がる近代的なコンクリートの建物、そして古代からあり続ける琵琶湖と山々です。時の経過により変わるものと不変なものが同じフレームに入る興味深い一枚。これだけでも、いかに日本が大切に文化を繋げてきたのかを感じます。
しばらくはここで物思いに耽りましょう。
次から次へと現れる文化財

●微妙寺
創建正歴5年(994年)で安永5年(1776年)に再建されています。
私はまず名前に引っ張られました。
令和の時代に良く使用される「微妙」というい言葉になろうとは1000年以上前に分かっていらっしゃったかしら。

●唐院
三井寺の開祖 智証大師の御廟(御霊を祭った宮)で三井寺の中で最も神聖な場所です。
なるほど、実はこの場所がとても居心地が良かったのです。
清らかで、静かで、その上ピリッとした緊張感がある場所でした。


●霊鐘堂
奈良時代の梵鐘。「弁慶の引き摺り鐘」でして、弁慶が比叡山まで引き摺って持っていき、撞いてみると帰りたいというふうにイノーイノーと聞こえたそうです。そこで弁慶は怒って鐘を投げ捨ててしまい、三井寺に戻ってきた伝説があります。
この鐘は良くない事が起きる前には汗をかいて撞いて鳴らず、良いことが起きると自然になるという不思議な鐘。乱世の頃は略奪を避けて地中に埋めたところ、みずから鳴り響き足利尊氏が勝利したこともエピソードに残っています。


●金堂
国宝でございます。北政所により慶長4年(1599年)に再建されています。
ここが一番圧倒された建築物でした。
大きくて、優美。軒先(とは言わないと思いますけど)の裏が素晴らしいです。
秀吉の命により三井寺存続の危機になったことを詫びるように北政所が再建したように思えます。


●仁王門
徳川家康より甲賀の常楽寺より慶長6年(1601年)移築されました。宝徳4年(1452年)建立の三井寺の中では古い建物です。これも品の良さをかもし出しています。
まだまだ文化財はありますが、それ以外でご紹介したいことがあります。

・境内の看板、電光掲示板
それぞれの看板が美しいのです。電光掲示板まであって、三井寺の経済力に感心します。



・映画のロケ地
映画のロケ地近年においては滋賀ロケーションオフィスがロケ誘致に力を入れていて、三井寺で様々な映画、ドラマのロケーションを行っています。
最近公開された「るろうに剣心 The Final」も三井寺で撮影されています。

絵になる場所なんですよ。ふっとタイムスリップ出来る場所なのです。
是非、ご自身でも境内を歩いている間に時空を超えて想像してみてください。
剣心が境内に隠れているかも。
・自然との調和
西国三十三箇所は基本山寺ですが、三井寺はその中でも自然と現代の機器が調和してします。私が行った時期はコロナ禍でしたので、従来より人はかなり少なかっただろうと思いますけど、歩いていて常に鳥の声、木々の葉の擦れる音、柔らかい春の風を感じました。それでいて歩道は整備され、案内板は分かりやすくて境内を楽しめます。
宝物だらけの伽藍と自然との融合の聖地
境内には国宝、重要文化財、県指定文化財が点在し、山の豊かな自然と寄り添う一体感のある場所です。天智、天武、持統天皇が産湯に使われた泉があり、織田信長と足利義明が落ち合うことがあれば、豊臣秀吉から「闕所(けっしょ)」の命を出され、お寺の土地や建物を没収する処罰を受ける最大の危機を迎えることがあり、その後秀吉の正室北政所が再建をし、徳川家康が仁王門を寄進していくわけで、天皇から戦国武将が関わり続けるお寺です。
※現在はコロナ対策のため、手水舎は閉鎖、観音様と繋ぐ五色紐も触れることができない札所が多くなっています。拝観時間や入堂条件も、通常とは異なっています。このブログではあくまでも私が参拝した当時の情報と、更新現在ネット等で公開されている情報が元になっています。参拝時はご自身で最新情報をお確かめください!
巡礼日:2021年3月7日