アクセス
交通手段
JR大阪から環状線で天王寺まで行き、近鉄南大阪線で15分くらい、近鉄藤井寺駅から徒歩5分
交通費
JR大阪から天王寺までの料金200円+近鉄代300円ですので、西国になかでも交通費のかからない寺です。
最寄り駅から門まで
平坦な道を5分くらい歩くと到着。第四番札所の施福寺が最難所の次の第五番札所がこんなにも行き易い寺とは驚きです。
門から本堂まで
すぐです。
【交通機関】
【交通費】
【最寄り駅から寺の門まで】
【門から本堂まで】
★の数が多いほど「難易度が高い」ことになります。
お寺について
第五番札所 紫雲山 葛井寺
(しうんざん ふじいでら)
創建
神亀2年(725年)
観音様
十一面千手千顔観音菩薩(毎月18日に開帳)
伽藍
聖武天皇の勅願で伽藍が整備され、観音様が出来て奉納された時には聖武天皇みずからお越しになったというエピソードあり。その観音様が御本尊。後に一時期衰退したが、永長元年(1096年)藤井安基(ふじいやすもと)が当時の荒廃を嘆き伽藍の大修理を行う。この方名前から寺を藤井寺ともいい、近隣の地名が藤井寺となる。その後永正7年(1511年)の大地震によりダメージを受けるが、織田信長、豊臣秀吉の庇護と庶民の信仰により今に至る。平成7年に300年ぶりに本堂屋根替等の大修理と本尊の厨子を耐火耐震庫にした。現在2025年に向け令和の大改修「南大門の大修理」「阿弥陀堂再建」「阿弥陀三尊二十五菩薩修復」を予定。
見どころ
狭い境内の中に民衆の信仰心の温かみを感じる。
御本尊の十一面千手千顔観音菩薩
春に咲く藤
寺までのアクセスは西国の中でもEasy
西国三十三箇所は基本的に山寺ですが、ここ葛井寺はハイヒールをはいても行けるくらいの平坦な道を歩くだけで寺に着きます。西国の中では総持寺、中山寺、葛井寺が駅近で平坦な道である行きやすさ三本の指に入る寺です。
また交通機関は藤井寺駅へと向かう近鉄南大阪線の始発駅が阿部野橋でして、JR、大阪メトロ天王寺駅連絡になりますから電車でのアクセスも良いです。思いつきですぐに行ける寺、そして毎月18日は御開帳日で観音様に会えます。近くにはレトロ感ありの商店街があり、あれ、こんなところにあるの?って感じで寺が現れます

6世紀のミニマリスト寺

葛井寺は西国の中では境内が狭い寺です。寺の真ん中でくるりと見回せば寺の全てが見渡せます。そもそも門からも「どーだー」というオーラがありません。後で気が付いたのですが、私は南大門ではなく四脚門から入ったのでなおさら地味だったのでしょう。不覚にも南大門をみることなく葛井寺を去った私。後悔しております。
しかしながら、狭いことが寺の優劣を決めるわけではありません。
見渡せる範囲で必要なものが備えてある、6世紀のミニマリストなお寺です。
また、このお寺は戦による焼失は一部あるものの、戦国時代の天下人の庇護のもと焼き討ちには遭わず、更に民衆の信仰心により大切にされている寺であるせいか、境内にはいると優しい感じがしました。真夏の平日にいったせいか、参拝者は少なかったのでよけいにそのように思ったのかもしれません。
18日は御開帳の日と存じておりましたので、夏の日の朝、はりきって行きましたよ。ワクワクしながら観音様とのご対面。あれ、暗くてはっきりお姿が見えません。逆光だったのかしら。後日友人から観音様の感想を聞かれて、正直見えなくてわからなかったと伝えるともったいない事しているかのように残念がられました。後に調べてみるとかなり立派な千手観音様でして、本当に千の手を持つ観音様らしいのです。あー次はかならずや拝見したい。

龍神を従えた菩薩です。願いをかなえてくれるとのこと。
行きたかった休憩所 ヴィクリディタサマデ・キリク
午前中の早い時間にお参りに行きましたので、参拝が終わったのが11時前でした。境内にはおしゃれな建物があり、なんと毎月18日恒例のご住職がチョイスした精進料理をランチとして出してくれるカフェでした。
あーーー食べたい、しかし、まだランチを食べる時間でもなければお腹も空いていない。しかも、この後は箕面市の勝尾寺へ行くつもりなので(大阪を南北横断)、ここには長居出来ない。後ろ髪引かれながら葛井寺を後にしました。
ヴィクリディタサマディ・キリクとは「観音様とともに一服してください」という意味らしいです。

権力者だけでなく民衆のやさしさを感じる寺
これ見よがしの造物がなくてひっそりと地味な寺ですが、聖武天皇の命で造られ、織田信長、豊臣秀吉からも護られ、脈々と民衆の信仰とともに育んできた寺です。
狭いながらも温かい我が家のようなやさしさを感じます。
また、山ではないのに、山の名前があるのはなぜか。それは伝説に残っているのですが、986年に第65代花山(かざん)天皇は在位たった2年で退位し、19歳で出家し法王になりました。その理由は藤原兼家が自身の孫を天皇にさせたくて、わずか17才で愛する人を亡くし失意の花山天皇に出家するように仕向けたのだそうです。こうして出家し花山法王となり、西国を巡っていた花山法王は葛井寺で何度も祈願のため参拝したところ、御本存様が法王の願いを受け止めた時に本尊様の眉間から香のような煙(紫雲)をくゆらせたとのこと。これが紫雲山のいわれです。
政治的な策略に巻き込まれた悲劇の法王(天皇)にも優しい観音様、あーやっぱりお姿を拝見したい。
次は藤の季節に、そして南大門から入り、観音様をしっかり見て、カフェで精進料理をいただきに行きます。
※現在はコロナ対策のため、手水舎は閉鎖、観音様と繋ぐ五色紐も触れることができない札所が多くなっています。
※同様に、拝観時間や入堂条件も、通常とは異なっています。このブログではあくまでも私が参拝した当時の情報と、更新現在ネット等で公開されている情報が元になっています。参拝時はご自身で最新情報をお確かめください!
巡礼日:2020年8月18日